PERSONALITY

求める人物像

自分が輝ける仕事に就くということは、人生においてとても重要な意味をもちます。
一緒に、人生の達人を目指しませんか?

KurodaKanbei

KurodaKanbei

仕事を楽しくする力

サボるのではなく、合理的に「楽」をつくる力です。仕事を構造的に捉え、必要な部分に必要な人を配置することで、結果的に「楽しむ」ことができます。

黒田官兵衛

関ヶ原の戦いにおいて、家康方に対し前もって味方として中津城の留守居を務める密約を結び、行動した。石田三成の挙兵の知らせを、用意させていた早舟から受け取った官兵衛は、中津城の金蔵を開いて領内の百姓などに支度金を与え、九州、中国、四国からも聞き及んで集まった9,000人ほどの速成軍を作り上げ、九州の大半を制圧。その後「天下を取るより、平穏な生活を送りたい」として、自らの徳川家康に服従した。

Koudaiin

Koudaiin

人が好き

人が好きであることはいい仕事をする上で重要だと考えています。
人の良いところも悪いところも受け入れることができれば、最後まで続けることができます。

高台院

豊臣秀吉の正室。当時の武家には代々の家臣が主家の主人を補佐していたが、秀吉は農民の家の出身であった為古くからの家臣がおらず、家臣団を一から人材を集めて育成する必要があった。秀吉と高台院には子がいなかったが、我が子のように将来の家臣を幼少より育てた。面倒を見た子供たちが秀吉の怒りをかって窮地に陥った時には、秀吉をなだめてとりなし、時には秀吉にアドバイスをして彼らに手柄を上げさせて出世させた。それが後の加藤清正や福島正則といった子飼いの武将である。秀吉が天下人となった後でも、豪姫や徳川家康の子の秀康、正親町天皇の孫八条宮を猶子にするなど大勢の子供を実子のように世話をしたこともあり、豊臣家滅亡後も徳川政権とは良好な関係を保った。

TokugawaIeyasu

TokugawaIeyasu

諦めない力

「絶対にやりとげてやる!」ということを決意して行動をすると、
可能性がどれだけ少なくても実現する可能性が生まれます。そんなミラクルを起こす力は、あきらめない力だと断言出来ます。

徳川家康

三方ヶ原の戦いの大敗の後の武田信玄の病死をきっかけにした逆転。信長の死後と小牧・長久手の戦いの二度にわたり天下をつかむチャンスを逃すも、関ヶ原での勝利。天下が取れないとみたときには潔く引き、次の機会を信じて力をためてきた。どれだけ屈辱的な目にあっても、貪欲に次の勝機をうかがい続け、見事に戦乱の世を統一した。平均寿命が50歳の時代に、58歳での天下統一である。

ShoutokuTaishi

ShoutokuTaishi

和の心

エンブリッジは全てのお客さまのバランサーです。三方良しをいつでも実現する必要があり、そのために必要な心は日本人として昔から持っている「和を以て貴しとなす」の心です。

聖徳太子

十七条憲法の中で「和を以て貴しとなす」という教えを説いた。現代風には「仲良く争わず協調することを何よりも尊いことである」というものであり、それまでのように氏姓制度や貴賎の差にとらわれず、有能な人が働けるようになる冠位十二階制度制を後押しした。

TakasugiShinsaku

TakasuhiShinsaku

スピード

スピードのいいところは失敗できるところです。期限内で反省もできればやり直しもできるので、人一倍成長することができます。

高杉晋作

「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し」変えなければいけないと思ったものは即座に行動して、変革を起こす。中でも長州藩に対するクーデター・功山寺挙兵はその最たるもの。藩政府やその向こうに控える幕府という巨大な組織に立ち向かうという高杉の無謀な企てに賛同する隊は殆どなく、当時奇兵隊を束ねていた軍監・山県狂介も消極的で、最終的に高杉の挙兵に賛同し集まった人数は、伊藤俊輔率いる力士隊30人と、石川小五郎率いる遊撃隊50人ばかりだった。それにも関わらず、一人でも実施をするという固い意志の元に即座に動いたことにより、一気に勢力を拡大させて勝利につなげた。

SakamotoRyouma

SakamotoRyouma

切拓く力

知的好奇心から生まれる力です。今まで思い込まされてきた「当たり前」という既成概念を壊していくことです。少しの考え方や見方の違いを変えることで、行動する原動力になります。

坂本龍馬

外国の脅威にさらされているにも関わらず、国内で戦を起こして国力を消耗させようとする幕府に対して、納得できない薩摩藩と、禁門の変で朝敵とされ、武器を購入することが禁止されていた長州藩。この状況に目をつけた坂本龍馬は、薩摩藩名義で武器を買い、その武器を長州藩に横流しするという提案をする。そうすることで長州藩としては戦備を整える武器が手に入り、薩摩藩としては長州藩を隠れ蓑にしながら幕府と戦えるというお互いの利害を一致させることで、同盟に至らせる。